総務省はこのほど、住民基本台帳人口移動報告の2019年結果を公表した。転入超過は東京都、神奈川県、埼玉県、など8都府県、転出超過は広島県、茨城県、長崎県など39道府県となった。2019年の転入超過数を都道府県別に見ると、東京都が8万2982人と最も多く、 人レジは2018年の導入率1%から、2025年には20%相当へ。コンビニ エンスストアの無人店舗比率も、2030年には10%相当に到達すると予想 される。また、2020年から導入される5gが、これらの無人化・ … 国立社会保障・人口問題研究所の『日本の地域別将来推計人口(平成30(2018)年3月推計)』のデータを使用して、2045年の市町村の人口ランキングを作ってみました。 2015年から2045年の人口増減率によって色を付けています。 1946年 9月27日: 1都1道2府42県: 府県制改正により北海道庁を北海道に移行 1947年 5月3日: 地方自治法施行により都道府県が「普通地方公共団体」となる 1972年 5月15日: 1都1道2府43県: 沖縄返還により沖縄県が復帰 ※開拓使および戦前における外地は除いた。 総務省はこのほど、住民基本台帳人口移動報告の2017年結果を公表した。本稿ではその概要について紹介する。転入超過数を都道府県別に見ると、東京都が7万5498人と最も多い。次いで千葉県(1万6203人)、埼玉県(1万4923人)など前年と同一の7都府県で転入超過となっている。 あとの40道府県は人口減です。 滋賀県が-0.2%の減少で惜しかったですね。 出典:総務省統計局 人口推計(平成29年10月1日現在)‐全国:年齢(各歳),男女別人口 ・ 都道府県:年齢(5歳階級),男女別人口‐平成30年4月13日公表 1 2045年の人口を2015年と比較すると、沖縄県と東京都以外の道府県は人口減少率が大きい 東京圏では、東京都がわずかな人口増加で、神奈川県、千葉県、埼玉県は人口減少率が比較的小さい 人口推計は、国勢調査による人口を基に、その後の各月における出生・死亡、入国・出国などの人口の動きを他の人口関連資料から得ることで、毎月1日現在の男女別、年齢階級別の人口を推計しています。また、毎年10月1日現在の全国各歳別結果及び都道府県別結果も推計しています。 一方、人口減少率が前年に比べ拡大したのは31道府県で、うち和歌山県(対前年差0.12ポイント)が最も拡大しています。減少率が縮小したのは岐阜県(同0.09ポイント)など8県となっています。 総務省発表の人口推計より。2018年(平成30年)10月1日現在 就職や進学等を機に41道府県の若者が県外に流出(平成29年) 「20~24歳」における都道府県間人口移動(※外国人移動者を含まない) 総務省統計局「住民基本台帳人口移動報告」(2017年)より作成 「20~24歳」 流入超過:6都府県 過去の都道府県の人口一覧は、1872年 1月2日(旧暦:明治4年 11月22日)に成立した第1次府県統合以降の過去の都道府県別調査人口を、主に戸籍調査と国勢調査の結果を中心にまとめたものである。. 2020年11月02日「大阪都構想」の是非を問う住民投票の投開票が11月1日に行われ、反対多数で否決されました。大阪市は政令指定都市(政令市)として存続が決まりました。10年に渡って大阪世論を二分してきた大阪都構想は、何が焦点だったのでしょうか。 2020年から2025年にかけては19府県で老年人口が減少し、2025年から2030年にかけては老年人口減少県は32道府県に増加する。2030年の段階で老年人口数が多いのは、東京都、神奈川県、大阪府、埼玉県、愛知県など大都市圏に属する都府県である。 東京の就業者は7割以上がテレワークを経験、44道府県と32.6pt差 地域で働きつつ都内で働ける選択肢があれば、働き方を変える意向は7割にのぼる 人材確保を望む地方企業、テレワーク導入の必然性高まる . 以下の表データは、Microsoft Excel(97)形式です。 表ごとにクリックし、ダウンロードしてご利用ください。[ ]内は、ファイルサイズです。 時系列データ(日本人のみ) . 国立社会保障・人口問題研究所の『日本の地域別将来推計人口(平成30(2018)年3月推計)』のデータを使用して、2045年の市町村の人口ランキングを作ってみました。 2015年から2045年の人口増減率によって色を付けています。 2045年の総人口は、東京都を除いた全ての道府県で2015年を下回る。 国立社会保障・人口問題研究所「日本の地域別将来 推計人口」(平成30(2018)年推計)より 都道府県別人口の推移 2015年の総人口を100としたときの指数でみた総人口 総務省の人口移動報告によると、9月に東京都から他の道府県に転出した人は3万644人、他道府県から転入した人は2万7,006人で、3,638人の「転出超過」となった。 東京都の人口流出は7月から3カ月連続。 このうち、日本人が3,084人、外国人が554人だった。 2030年の人口を、2000年人口を100とした場合の人口指数でみると、指数が100を超える、すなわち2000年より人口が増加する都道府県は東京都、神奈川県、滋賀県、沖縄県の4都県のみであり、他の43道府県ではいずれも2030年の人口が2000年人口を下回る。また指数が90以下、すなわち人口が1割以 … 高齢化率は人口減少と同時に各都道府県で進行する。2025年には、40道府県で30%超えとなり、2040年には全都道府県で30%を超えると予測されている。 2040年、最も高齢化率が高いのは秋田県で43.8%、最も低いのは沖縄県の30.3%となる。 47都道府県制覇してみたい 青春18きっぷ あいうえおっかーさん 一番欲しい 47 都 道府県 地方 区分 白地図 問題プリント地方名47都道府県名47県庁所在地名. 総務省の人口移動報告によると、9月に東京都から他の道府県に転出した人は3万644人、他道府県から転入した人は2万7,006人で、3,638人の「転出超過」となった。 東京都の人口流出は7月から3カ月連続。 このうち、日本人が3,084人、外国人が554人だった。 地方圏:大都市部以外の道府県 出典:人口:日本の将来推計人口(全国:2012年1月推計、その他:2013年3月推計) 世帯数:日本の世帯数の将来推計(全国:2013年1月推計、その他:2014年4月推計) [国立社会保障・人口問題研究所] 平成28年10月1日付の「人口推計」によれば、高齢化率は27.3%。高齢化率は1950年の4.9%以降、連続して上昇が続いている。今回は、内閣府発表の平成29年版高齢社会白書などから、地域別の高齢化の状況について取り上げたい。 総務省はこのほど、住民基本台帳人口移動報告の2019年結果を公表した。転入超過は東京都、神奈川県、埼玉県、など8都府県、転出超過は広島県、茨城県、長崎県など39道府県となった。2019年の転入超過数を都道府県別に見ると、東京都が8万2982人と最も多く、 2045年市町村将来推計人口ランキング. 東京都住民基本台帳人口移動報告平成31年・令和元年 . 仮に、合計特殊出生率が2030年に1.8程度、2040年に2.07程度(2020年には1.6程度)まで上昇すると、2060年の 人口は約1億200万人となり、長期的には9,000万人程度で概ね安定的に推移するものと推計さ … 都 道府県 別人口増加率. 令和2年5月27日 東京都への転入者数上位の道府県を掲載 都総務局統計部「東京都住民基本台帳人口移動報告 平成26年」(平成27年8月) 【Excel】及び【PDF】については、(ファイル形式の) 利用ガイド を参照してください。 2- 4 年齢各歳別人口(エクセル:15kb). 公表を延期しておりました「東京都住民基本台帳人口移動報告(平成31年・令和元年)」につきましては、令和2年11月18日の公表を予定しております。 大変ご不便をおかけしました。今後とも、何卒よろしくお願い申し上げます。 都道府県道整理番号標識は第3次主要地方道認定が行われた1971年(昭和46年)に制定され、同年6月に整理番号を改正した兵庫県(1972年4月から設置開始)を皮切りに各都道府県で設置普及が進んだ。 1994年(平成6年)の和歌山県と福井県を最後に全都道府県で路線番号標識が設置された。 調査概要 1 調査目的 東京都における平成31年・令和元年(1月~12月の1年間)の観光入込客数(旅行者数)、観 光消費額及び観光の経済波及効果を推計し、観光産業振興に向けた施策を推進するための基礎資 仮に、合計特殊出生率が2030年に1.8程度、2040年に2.07程度(2020年には1.6程度)まで上昇すると、2060年の 人口は約1億200万人となり、長期的には9,000万人程度で概ね安定的に推移するものと推計さ … 2020.09.25. 2045年市町村将来推計人口ランキング. 2010年(平成22年)の2005年(平成17年)比人口増加率。増加したのは9都府県(東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県・愛知県・滋賀県・大阪府・福岡県・沖縄県)で、東京都が突出して高い。その他38道府県では減少した。 総務省はこのほど、住民基本台帳人口移動報告の2017年結果を公表した。本稿ではその概要について紹介する。転入超過数を都道府県別に見ると、東京都が7万5498人と最も多い。次いで千葉県(1万6203人)、埼玉県(1万4923人)など前年と同一の7都府県で転入超過となっている。 国立社会保障・人口問題研究所は27日、2040年の人口がすべての都道府県で減少するとの推計を発表した。全国平均で2010年に比べ、16.2%減少する。 éB2000N_ÅÍVNlûª30ð´¦és¹{§Í1ÂàÈ¢ªA2015NÉÍ4§Å30ð´¦éB»µÄ2030NÉÍ35¹§ÅVNlûª30ð´¦éB2030NÉÅàVNlûªå«¢ÌÍHc§i36.2jÅ èAÅଳ¢ÌÍ ê§i25.1jÅ éB. 都道府県(とどうふけん)は、日本の広域的地方公共団体である「都」「道」「府」「県」の総称。, 現在は47都道府県が存在し、その内訳は1都1道2府43県(都:東京都の1、道:北海道の1、府:京都府および大阪府の2、県:それら以外の43)である。, 市町村が「基礎的な地方公共団体」(地方自治法2条4項)とされるのに対して、都道府県は「市町村を包括する広域の地方公共団体」(同条5項)とされ、広域にわたる事務や市町村に関する連絡事務などを処理する。, 日本全国は、1724市町村(792市、743町、189村)及び23特別区(東京都区部)にくまなく分けられ、全ての市町村および特別区は47都道府県(1都、1道、2府、43県)のいずれか一つに包括されている[1]、二段階の地方制度である。, 都道府県には、議決機関として議会(都道府県議会)、執行機関として知事(知事部局)を置く。そのほか、公安委員会(都道府県公安委員会)と警察本部、教育委員会、選挙管理委員会、監査委員などの委員会および委員とその事務部局を置く。都道府県は自治権を有し、条例・規則を制定し、地方税・負担金などを賦課・徴収し、地方債を発行する権能を有する。, 都道府県の行政事務の中枢となる組織及び庁舎を都道府県庁といい、都道府県内の1都市(都道府県庁所在地)に設置されている。その都市名は、都道府県名と同じ県もあれば、異なる県もある(#名称参照)。, 1947年(昭和22年)5月3日の日本国憲法施行に合わせて同日に地方自治法も施行され、都道府県と市町村を中心とする地方自治制度が開始した。地方自治法には、統一的な都道府県制度が定められた。ただし、都道府県のうち、都は、特別区に対する一定の調整権限を有することが特徴的である。府県の間には法律上の違いはなく、名称の違いはもっぱら歴史的なものである[2]。道は、地方自治法上は府県と同じ扱いであるが、府県とは若干異なる警察組織を有するほか(警察法46条・51条)、河川法(96条)、道路法(88条)などには道についての特例がある。, 日本の都道府県のうち一部をいう場合、北海道が含まれない場合は「都府県」、東京都が含まれない場合は「道府県」などという用法もある。, 江戸時代の幕藩体制の時代には、領国支配・分割統治が行われていたが、明治維新により、段階を経ながら中央集権体制が確立されていった。, 1871年(明治4年)の廃藩置県に前後して、順次設置された府・県・庁・都のいずれにおいても、内務省によって任命された官選知事が行政を司り、国の地方行政機関として位置付けられていた。一方、それぞれに民選議会が設置されており、ある程度の地方自治が存在した。, 1868年(明治元年)、江戸幕府の直轄領(幕領・旗本の領地)が明治政府の直轄領になり、三都(江戸・大坂・京)や、開港5港などを管轄する重要地域を府とし、それ以外を県として、府に「知府事」が、県に「知県事」が置かれた。藩はそのまま大名(諸侯)が治めた。, 1869年9月1日(明治2年7月25日)、かねてより諸侯から出されていた版籍奉還の願い出を受け入れ、諸侯を代替わりさせた上で知藩事として引き続き各藩の統治を任せた(廃止された藩もある)。, この時点で、諸侯は領地と領民に対する統治権を全て天皇に奉還したことになっているものの、実質的な地方支配体制は、幕藩体制の江戸幕府の地位を明治政府が引継ぎ大名の役名や任地などの名称が変更されただけであり、府藩県三治制と呼ばれる(府県のみ直轄)。, 1869年9月29日(明治2年8月24日)の太政官布告によって、京都府・東京府・大阪府以外は全て県と称することが決まり、前後して他の府(神奈川府・新潟府・越後府・甲斐府・度会府・奈良府・箱館府・長崎府)が県に名称変更した。この時点では、天皇が東京行幸で東京にいたが、高御座(天皇の在所を示す玉座で、これのある場所が皇居とされる)の移動が無かったので、高御座のある京都府の方が東京府より序列が前になっている。なお、この太政官布告前は、東京府は江戸府と呼ばれており、同時に江戸から東京に改称された。, 1871年8月29日(明治4年7月14日)に行われた廃藩置県により、藩は県となって、全国が明治政府の直轄となった。結果的に、1使(開拓使)3府(東京府・京都府・大阪府)302県となる。この時点では江戸時代の藩や天領の境界をほぼそのまま踏襲したものであったため、飛び地が全国各地に見られ、府県行政に支障を来たしていた。同年12月にはこれを整理合併(第1次府県統合)し、1使3府72県となった。, 1876年(明治9年)に県の大規模合併(第2次府県統合)が行われ、1878年(明治11年)に制定された地方三新法の1つ、郡区町村編制法により合併や領域変更が行われ、一時は37府県まで減ったものの、分割運動によって1889年(明治22年)の市制・町村制、1890年(明治23年)の府県制・郡制の制定を経て、1庁(北海道庁)3府(東京府・京都府・大阪府)43県となった。1890年(明治23年)以後、県の合併・分割は一切行われず、1943年(昭和18年)に正式に内地編入された樺太庁が追加されたほか、同年、東京府が東京都となり現在に至っている(終戦時、1都(東京都)2庁(北海道庁・樺太庁)2府(京都府・大阪府)43県)。, なお、1903年(明治36年)、内務省は19県を廃止し28道府県に統合する内容の「府県廃置法律案」をまとめ、桂内閣で閣議決定された。しかし閣議決定の2か月後の日露戦争勃発による議会の解散により、議会への提案まで至らなかった。, 廃藩置県後、県の長官は「知県事」から「県令」と改称され、京都府・東京府・大阪府など府の長官は「知府事」から「知事」と改称された。1886年(明治19年)以後は、両者とも「知事」と呼ばれた。府知事や県令(県知事)は、内務省から派遣される官僚であった。一方で、1878年(明治11年)に制定された地方三新法の1つである府県会規則(北海道には適用されなかった)によって府県会が置かれることになり、地方自治の主体としての性格も併せ持った。, 1889年(明治22年)に市制が始まるが、市を代表するのは市会であり、現在のように市長ではなかった。ただし、「県」下の市には「市会推薦市長」が存在したのに対し、「府」下の市(東京市・京都市・大阪市)には市長は存在せず、府知事がその役を兼務した(市制特例参照)。これら3市では、1898年(明治31年)10月になって初めて市長が生まれた。, 国の地方行政官庁としての府県は、勅令である「地方官官制」によって、地方自治体としては法律である「府県制」(明治23年 法律第35号:明治32年、法律第64号で全面改正)によって規定されている。, 「北海道」という呼称は、1869年(明治2年)7月の開拓使設置と同年、「松前地」および「蝦夷地」と呼ばれた地域を改称し、北海道11国86郡を制定したのに始まる。これは律令制の下で68の国を五畿七道に区分した用法と整合する。渡島国の一部については廃藩置県で成立した館県が弘前県に吸収・青森県の一部となっていたが後に開拓使に移管。1882年(明治15年)に開拓使が廃止されて道内を三分する函館県・札幌県・根室県の3県が設置されたが、1886年(明治19年)に廃止され「北海道庁」が設置された。, 当時、北海道庁の管轄域を「北海道」と呼んだが、「北海道」は単なる地域呼称・地方名であり、現在のような「道」という自治体名ではない(内地編入された樺太における樺太庁の命名法と共通する)。従って、地方行政官庁として他の府県と並列するときには「庁府県」という表現が用いられた。, 北海道庁官制(明治19年 勅令第83号(後に全面改正))によって北海道庁長官を他府県の知事に当たる官職とした。1901年(明治34年)、北海道会法(明治34年 法律第2号)および北海道地方費法(明治34年 法律第3号)が公布されて議会が設置され、「北海道地方費」という名称の法人格を持つ地方自治体となった。なお、北海道会は府県会と比べて議会の権限は狭かった。その後、樺太(共通法1条2項では内地に含まれた)における法令上の特例が廃止され、新たに樺太庁が正式に加わり2庁となった。, 第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)7月1日、東京都制(昭和18年 法律第89号)の施行により、東京市は東京府に吸収され「東京都」となり、市制と自治権を剥奪された。東京都官制(昭和18年 勅令第504号)により「東京都長官」が長官とされ、東京都を設置した内務官僚である大達茂雄が、その第1代に任命された。, 東京都制によって都議会が設置され、旧・東京市内の各区にも区会が置かれたが、特に区部に対する国の統制は強力だった。, 戦後、1946年(昭和21年)9月の府県制改正に伴って、北海道会法と北海道地方費法が廃止されて府県制に統合され、同法は道府県制と改称された。この改正法の附則の規定により従来北海道地方費と呼んできた自治体を「道」と呼ぶものとされた。, 1947年(昭和22年)5月3日の地方自治法施行とともに、北海道庁官制も廃止され、地方行政官庁であった北海道庁も、普通地方公共団体の一つである「北海道」となった。, 1947年(昭和22年)4月、日本国憲法第92条で予定された法律として地方自治法が公布された。この中で都道府県は、以前の「中央政府の下部機関」という立場ではなく、市町村と同様の「普通地方公共団体」に位置づけられ、議会議員のみならず知事も選挙によって選ばれることになった。ただし、1947年(昭和22年)4月に実施された最初の知事公選はまだ成立していなかった地方自治法ではなく、前述の府県制(道府県制)・東京都制改正で地方長官について公選制が導入されたことを根拠に行われた。この時点で、1都(東京都)1道(北海道)2府(京都府・大阪府)42県。その後、1972年(昭和47年)にアメリカから返還された沖縄に沖縄県が置かれ、再び43県となっている。, 都道府県知事が公選となる一方で、戦前に起源を持つ機関委任事務制度は2000年(平成12年)に廃止されるまで長く存続した。都道府県は、普通地方公共団体として市町村と対等であるが、都道府県は市町村を包括する広域の地方公共団体として、広域にわたるもの、市町村に関する連絡調整に関するもの及びその規模又は性質において一般の市町村が処理することが適当でないと認められるものを処理する(地方自治法(第2条第5項))。, しかし、「都」・「道」・「府」・「県」という「単位」の定義が地方自治法には明記されておらず、現在の都道府県名は同法第3条第1項の「地方公共団体の名称は、従来の名称による」という規定に基づいて使われている。ただし、「都」については単なる名称ではなく、「道府県」とは異なる性格を有する。すなわち、地方自治法上、「都」の「区」は「特別区」とされており(地方自治法281条1項)、「道府県」とは異なる取扱いである。なお、道府県であっても大都市地域における特別区の設置に関する法律に基づき特別区を設置することは可能であり、特別区を包括する道府県は、地方自治法その他の法令の規定の適用については、原則として「都」とみなされる(同法10条)。, 沖縄県は1945年(昭和20年)から(正式にはサンフランシスコ講和条約が発効した1952年(昭和27年)4月28日から)1972年(昭和47年)のアメリカによる占領下では、日本の統治下になかったため、この時期における沖縄の扱いは微妙であり、国会では「琉球政府」、「南西諸島」などの呼称が使用され、都道府県の数では「1都1道2府42県」の「46都道府県」などと数えられ、沖縄は県の数として含められていない[3]。, 沖縄復帰を前に制定された「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」では、かつての沖縄県が「地方自治法に定める県として存続する」ものとされた。, 都道府県を合併したり、新しく都道府県を設置したりすることを「廃置分合」といい、次のように分けられる。, 廃置分合については、都道府県の設置・廃止を伴わずに区域のみを変更する「境界変更」(市町村の所属都道府県の転属を含む)と併せて、地方自治法第6条及び第6条の2に規定されている。, 法律による(第6条第1項)。この法律は、憲法95条に定める「一の地方公共団体のみに適用される特別法」(地方自治特別法)であると解されるので、関係都道府県において住民投票を行い、それぞれ過半数の賛成を得なければ効力を生じない(詳細な規定は地方自治法第261条・第262条)。, 平成16年法律第57号による改正で、簡略な方法による合体・編入の手続きが新設された。, これは、長野県山口村と岐阜県中津川市との合併の際に、都道府県にまたがる市町村の合体(新設合併)には法律の制定が必要なこと(後述)がクローズアップされたことや、道州制導入の前段としての自主的な都道府県合併を促す必要があるとの趣旨で設けられたものである。, 都道府県の境界変更も、廃置分合と同じく法律(地方自治特別法)によることを原則とするが、次のような場合は「自ら変更する」こととなっている(地方自治法第6条第2項)。, この2つの場合においては、関係する市町村・都道府県が、それぞれ議会の議決を経て申請し、総務大臣が定めることとなる(第7条第3項)。, 市町村の境界変更と同じく、市町村の区域に変更があったことに伴う変更であるからである。, 一の市町村又は一の郡の全体が他の都道府県に編入されるときも、都道府県の境界変更であり、法律によることとなる(昭和25年9月9日付け)。, 異なる都道府県に所属する市町村が廃止され、その区域に市町村が設置される場合は、関係する市町村・都道府県が、それぞれ議会の議決を経て申請し、総務大臣が定める(第7条第3項)。, 従来、都道府県の境界を越える市町村の合体(複数の市町村を廃止して、その区域に新たに市町村を設置すること)にも、第6条第1項により、新たに制定される法律によるものとされていた(昭和28年6月29日付け 自行行発第195号)。, そのためもあり、2005年(平成17年)の長野県山口村と岐阜県中津川市との合併は、中津川市への編入という形をとることになった。それを契機として、平成16年法律第57号による改正により、都道府県の境界にわたる市町村の境界変更の手続きと同様の簡易な手続きによることとされた。, 1876年(明治9年)に大規模合併が実施された県では分割運動が起こって再度分割された県も存在するが、1888年(明治21年)末に香川県が愛媛県から分離されて以来、都道府県の分割は実施されていない。, しかし今もなお、都道府県の分割を求める声が市町村長や都道府県知事やネット上などで見られる。ここでは、市町村長や都道府県知事が県の分割や分離を示唆している都道府県を挙げる。, 最も一般的な地方区分に従って都道府県の一覧を示す。このほかの地方区分については日本の地域を参照。, 表(庁府県設置当時の庁舎所在地と郡)からも明らかなように、都道府県名の原則は庁舎所在地である。ただし、県名の根拠となった地名が以下に該当する場合には都道府県名は庁舎所在地の現在の市名と一致しない。, 1888年(明治21年)以降都道府県名の地名部分に変更が無く、都道府県名が定着した現在においては、都道府県名の地名部分のみで都道府県の領域全体を指す(例えば「青森」で青森という都市ではなく青森県全体を指す)用法が一般に用いられるが、本来は領域の一部分のみを示す地名である。特に県名が庁舎所在地の市名と一致しない場合には、県名が元々から領域全体を指す地名であると誤解されていることが多い。現行都道府県名の地名部分が都道府県の領域全体を示しているのは北海道と愛媛県のみである。, 都府県名に庁舎所在地を用いる原則は、府藩県三治制における命名規則を廃藩置県後にも継承したものと考えられる。江戸時代を通じて藩の命名に統一方針があったとは認められず(そもそも「藩」という呼称自体が当時の正式なものではない)、城下町名(例えば「鹿児島藩」)、令制国名などの広域地名(例えば「薩摩藩」)、藩主の姓(例えば「島津藩」)のいずれを称するかは定まっていなかった。庁舎所在地の都市名や村名(ごく一部で例外的に郡名、県や府では令制国名も使用[16])を用いる命名のみが専ら用いられるようになったのは府藩県三治制以降である。, その後、廃藩置県直後の第1次府県統合の際およびその直後(約7箇月以内)に、「都市名」に基づく県名を「郡名」などに改称した事例が数多くあり、その具体的な理由は必ずしも明らかでない。なお、この改称が戊辰戦争における「順逆」を表示するという明確な政治的意思に基づいて行われたとする説(賞罰的県名説)があるが、この説には「順逆」の評価基準が明確でない、政治的意思の存在が論証できないなどの問題点がある。, 第1次府県統合直後の改称以降、県庁舎の移転に伴わない県名の変更は例外的である。統廃合に際しても、いずれかの県庁舎が継承される場合には、その県名も継承している(廃藩置県#第1次府県統合から第2次府県統合までの異動の「統合」「編入」および廃藩置県#第2次府県統合の「編入」参照)。明白な例外は、管轄地域全体を象徴する「雅称」を県名とした石鉄県と神山県が合併する際に新たな「雅称」として愛媛県と命名した事例と、同じく「雅称」であった白川県を原則通りの熊本県に改名した事例の2例のみである。例外に準ずる事例も、廃止された新川県・足羽県・名東県を復活する際に元の県名ではなく富山県・福井県・徳島県とした3例に限られる。第2次府県統合以降には、県庁舎を他の都市に移転した事例(栃木県)や県名の根拠となる地名が消滅した事例(島根郡や神奈川町の合併消滅など)においても県名は変更されていない。, 都道府県の英語訳としては『prefecture』が使われるが、この単語は中央政府から派遣される県知事(prefect)の管轄範囲という語感を伴っており(類似例: フランス)、知事公選制となった戦後においてはこの単語は語感に沿わないものになっているが、戦前からの慣例で今でも使われ続けている。なお、東京都の場合には『metropolis』も用いられる。北海道の場合は『prefecture』を用いず、『Hokkaido』のみで表すこともある。, 多くの都道府県は都道府県旗、都道府県章、シンボルマークなどを制定している。これらは国民体育大会などの行事で用いられるほか、都道府県の施設で掲揚されたり、都道府県が管理する施設の標識に用いられたりしている。, また多くの都道府県では、「県の花」、「県の木」、「県の鳥」を定めている。中には、「県の魚」「県の獣」を定めているところもある。詳細は都道府県のシンボルの一覧を参照。, 2000年(平成12年)、2005年(平成17年)、2010年(平成22年)、2018年(平成30年)時点の都道府県別合計特殊出生率を表した図。, 国会議事録第6回衆議院地方行政委員会10号(昭和24年11月25日)門司委員、あるいは国会議事録第38回参議院文教委員会9号(昭和36年03月09日), 大分と宮崎は県設置より後で県庁所在地名を郡名に合わせて改称している。秋田も明治に入ってからの郡名への改称だが、県設置より前である。, 栃木県の県名と県庁所在地名の相違は、宇都宮県と旧栃木県が合併する際に、県庁を宇都宮に置く代わりに県名を「栃木県」とすることで、両者の顔を立てたものである。, 埼玉県が現在の範囲に確定した時点では県庁所在地は浦和市であったが、浦和市が大宮市、与野市と合併した際に現在の名称が定められた。 【都道府県別総人口】 2030年以降、東京都においても総人口が減少する。 2045年の総人口は、東京都を除いた全ての道府県で2015年を下回る。 国立社会保障・人口問題研究所「日本の地域別将来 推計人口」(平成30(2018)年推計)より 都道府県別人口の推移 1946年 9月27日: 1都1道2府42県: 府県制改正により北海道庁を北海道に移行 1947年 5月3日: 地方自治法施行により都道府県が「普通地方公共団体」となる 1972年 5月15日: 1都1道2府43県: 沖縄返還により沖縄県が復帰 ※開拓使および戦前における外地は除いた。 各道府県への転出者数の推移(昭和54年~平成31年・令和元年) Excel 97 [42KB] 第6表: 他道府県及び隣接3県(埼玉・千葉・神奈川県)との移動者数の推移(昭和29年~平成31年・令和元年… 道府県とは 東京都を除く地方自治体のこと 道北海道 府京都府大阪府 県青森県沖縄県. 「大阪都構想」の是非を問う住民投票の投開票が11月1日に行われ、反対多数で否決されました。大阪市は政令指定都市(政令市)として存続が決まりました。10年に渡って大阪世論を二分してきた大阪都構想は、何が焦点だったのでしょうか。 最も少なくなるのは秋田県で、山口県、長崎県を加えた3県で2割以上減少する。2000年よりも人口が増加する都道府県は、東京都、神奈川県、滋賀県、沖縄県の4都県のみであり、他の43道府県ではいずれも2030年の人口が2000年の人口を下回る。 全国に占める東京圏の人口割合は増加. 江戸時代の幕府の旧国別調査人口や推計人口に関しては江戸時代の日本の人口統計の項を、 2100年 4,959万人 2110年 4,286万人 ... 75歳以上人口の将来推計(平成27年の人口を100としたときの指数) 国立社会保障・人口問題研究所「日本の地域別将来推計人口(平成25(2013)年3月推計)」より作成 全国 埼玉県(2025年の指数が 全国で最も高い) 東京都(2040年に向けて上昇) 山形県(2025年の指 …
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