ヨセフと婚約し、結婚前にイエスを身ごもった。ヨセフは婚約者のマリアが身ごもっていることを知る。律法に忠実な義人であればマリアを不義姦通として、世間に公表し、申命記22・23に基づく石打ちの刑にする権利があったがそれを行使せず、全てを受け入れマリアと結婚した。 マグダラのマリア ( ラテン語: Maria Magdalena )は、 新約聖書 中の 福音書 に登場する、 イエス に従った女性である。 イエス・キリストは、もともと「ナザレのイエス」として生まれてきました。 これは、「ナザレ村のイエスさん」という意味です。 当時、下層民は姓をもたないので、出身地や誰と縁があるかで区別したの … く感じたい方、その存在をもっと近くに感じたい方、ツインが今気になっている方におすすめ 【伝授】イエスキリストとマグダラのマリア愛の覚醒ヒーリング《インフィニティ・ラブ》アチューメント 8.イエスにまつわる伝承~イエスは如何にして「救世主キリスト」となったのか~ - 7. しばしばマグダラのマリアは娼婦だったと思われています。イエスと出会ったのち自らの生き方を後悔し、イエスに付き従うようになったと考えられているんですね。, 「イエス・キリストの生涯」(Jesus: His Life)のエピソードと解説です。7つめのエピソードは、マグダラのマリア。, イエスに出会う前、マグダラのマリアは苦しんでいました。聖書によると癒しを求めるマリアの元にイエスが訪れ、悪霊を追い出します。, 症状は現代でいうと、統合失調症か双極性障害、またはPTSDだったのかもという番組内の専門家のコメント。, 「マグダレナと呼ばれるマリア」は、マグダラ出身のマリアという意味。ガリラヤのマグダラという町の出身です。, 当時、女性の名前は父や夫の名前で呼ばれるのが普通で、町の「マグダラ」で呼ばれるのはめずらしいとのこと。未婚だったか夫に先立たれたか、マグダラの有力者だったのかもしれないそうです。, ヨハネの福音書では、ベタニアのマリアが十字架にかかるイエスの葬りの備えに香油を塗り、「高価なものだ」とユダに咎められます。, (関連記事:裏切りのユダ) イエス・キリストの生涯⑤ユダ裏切りの理由~私は裏切った~, 591年、教皇グレゴリウス1世が「罪の女」「ベタニアのマリア」「マグダラのマリア」を同一人物とします。これがマグダラのマリアを娼婦と呼んだ一因となったわけです。, (テレビドラマ 「イエス・キリストの生涯」(Jesus: His Life)では、ベタニアのマリアとマグダラのマリアは別人物。両者とも娼婦ではありません。), のちの1969年にカトリック教会は教皇パウロ6世が、マグダラのマリアを、ベタニアのマリア、罪深い女と関連づけることやめます。, しかしマグダラのマリアと娼婦との関連付けをカトリック教会が外したとはいえ、一般的にはマグダラのマリア=罪深い女のイメージが強いのでしょうか。, ジーザス・クライスト・スーパースター(JCS)に登場するマグダラのマリアは、ユダの歌で「その女の職業に文句があるわけじゃない」「その新品の香油は高いらしい、貧しい者にとっておくべきじゃないか。お前の足や髪を癒すことより大事なんじゃないか」と歌われるように、, 職業(=罪深い女)、香油を使って足や髪を癒す(=ベタニアのマリア)が、グレゴリウス一世と同じくマグダラのマリアと同一人物という扱いです。, ダンス・オブ・ヴァンパイア(TdV)に登場する女中のマグダは、マグダラのマリアが由来ですが、宿に到着したプロフェッサーの足をお湯で温める行為は、イエスの足を香油と涙で洗った罪深い女とベタニアのマリアと同じものです。, ちなみに不倫相手の宿屋の主人の復活ーヴァンパイアに襲われた人物が復活した目撃者第一号というのは、イエス復活の最初の目撃者マグダラのマリアと同じ設定と言えます。, 1982年に英国で刊行の「レンヌ=ル=シャトーの謎: イエスの血脈と聖杯伝説(Holy Blood, Holy Gail )」で、イエスとマグダラのマリアが結婚し、子供を設けたという仮説を出しました。, 本が発表されたのち、キリスト教社会では大センセーションとなり、関連番組に圧力がかけられたとか。, 「レンヌ=ル=シャトーの謎」の論拠をもとに書かれた「ダ・ヴィンチ・コード」も、バチカンからカトリック教義に反するものと公的に批判を受けています。, イエス以前、ユダヤ教では女性の弟子がいた形跡はありません。女性の弟子がいたイエスは誰でも受け入れていたことがわかりますが、きわめて異例でもあることから、「イエスとマリアは師弟以上の関係なのでは」と議論が続いてきたそうです。, 聖書には2人の結婚を裏付ける証拠は一切ないのですが、妻にしても娼婦にしても、イエスの男性弟子と比べると、ある種の役割を押しつけらえているような気もしますね, ユダヤ教神殿に対する批判的な言動、自らを神の子と称した罪で、イエスは死刑を宣告されます。, ユダの裏切りで、ゲツセマネで捕らえられたイエスを、マグダラのマリアは探しに行きます。しかし男性弟子は「危険だ」と動きません。, イエスの受難物語では、女性の弟子の活躍が目立ちます。男性弟子は民衆を扇動した革命家のイエスと同じグループとわかってしまうので怖気づいてしまったとのこと。, マリアは、イエスを目にします。イエスは鞭打ちされボロボロになった身で十字架を運んでいました。, 十字架の重さは推定45~136キロ。ひどいケガを負った人間一人が運ぶにはあまりにも過酷です。, イエスが力尽きたため、ローマ兵がたまたまそこにいた北アフリカキレネ出身のシモンに命令し、シモンは十字架を運ぶのを手伝います。, イエスは「エルサレムの娘たちよ 私のために泣くな。むしろ自分と自分の子供たちのために泣け」と言います。, 群衆にまじり、イエスが十字架を運ぶ姿をみていたのが、ユダヤの有力者アリマタヤのヨセフとニコデモでした。, 2人はイエスの処刑に反対でしたが、カイアファのプレッシャーに負け、死刑に賛成してしまったのでした。2人は責任を感じていたのかもしれません。, 十字架刑はペルシャ人の発明。ローマ帝国の十字架刑は政治犯にも用いられました。周りへの見せしめになる刑です。, 処刑されるイエスの近くにいたのは母マリアとマグダラのマリア含めた女性の弟子、男性の弟子はヨハネだけでした。, 「ナザレのイエス ユダヤ人の王」とギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語で書かれていました。, イエス処刑の宣告をしたユダヤ総督のピラトの嘲りだそうです。「これがお前たちユダヤ人の王?」「ローマ式に磔されているぞ」, ピラトはイエスだけでなくユダヤ人全体を嘲り笑っているのでしょう。 イエス・キリストの生涯⑥総督ピラト死刑の宣告~私は宣告した~, 死にゆくイエスに罵声を浴びせるものもいました。屈辱を与えるために当時は普通のことだったようです。辱めを受けると本人の評判も家族の評判も二度と回復できないものでした。, イエスの言う「彼ら」の中には、処刑宣告をしたピラト、イエスを裏切った友人のユダ、イエスを攻撃した宗教指導者たち、自分を痛めつけ殺す人々が含まれていました。それらの人々をイエスは赦すのです。, 「我が神 我が神 なぜ私をお見捨てになったのですか」(エロイ エロイ レマ サバクタニ), 「イエス・キリストの生涯」の今回のエピソードでは”神を信じているから出てくる言葉”というような意味で説明がありました。, そこへ、アリマタヤのヨセフとニコデモがやってきます。安息日の前に遺体を降ろしたいと。, アリマタヤのヨセフとニコデモは、イエスの母マリアに「ご子息をきちんと埋葬したい」と言い、マリアは感謝を伝えます。, 福音書ではアリマタヤのヨセフが十字架から遺体を降ろしますが、母マリアがイエスを抱くイメージが広がりました。, イエスの遺体を膝に抱いて嘆き悲しむ聖母マリアを表す彫刻や絵をピエタと呼びます。ピエタはイタリア語で、「嘆き」「哀れみ」「慈悲」という意味。, 裕福なアリマタヤのヨセフは、イエスに自分の墓を差し出します。場所はゴルゴダから近い場所でした。, このイエスを包んだとされる亜麻布は、聖骸布と呼ばれ、トリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されています。, 墓に向かったマリアは墓が開いているのに気づきます。中に入るとイエスの遺体が亡くなっていました。, ショックを受けたマリアは他の弟子を呼びに行き、ペテロとヨハネが一緒に墓に向かいます。, 墓荒しまたはイエス処刑を望んだ人たちの仕業か。「ここは危ない」とペテロとヨハネは帰り、マリアだけ残ります。, 喜んだマリアはイエスの復活を伝えるため喜びに沸き、弟子たちの元へ走ります。 ・ ・ ・, 今回のエピソードで、イエズス会神父のジェームズ・マーティン氏が、次のようにおっしゃっていました。, マリアが復活したキリストに出会ってから復活の知らせを弟子たちに告げるまで、「マリアが地上の教会」だった。, とても美しい表現で、マグダラのマリアがキリスト教においてとても重要な存在だとわかります。, ュージカル情報についてゆる~く更新しています。つぶやき少な目。カフェ☕️好きですが、日本茶が1番好き. キリストとマグダラのマリアにはサラという子供がいました。 彼女はのちのテンプル騎士団となった団体で活動していました。テンプル騎士団は、フランスではとても有名な団体でした。 昨日は、旧約聖書の神であるアヌンナキが秘密結社とはどういうものかを語っているのを紹介した。 先日来、マグダラのマリアはイエスと結婚しておりマリアはイエスの子を妊娠していたことを紹介したが、この事実を捻じ曲げたのもアヌンナキだった。 Encyclopædia Britannica Online, "St. Mary Magdalen", Butler's Lives of the Saints, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=マグダラのマリア&oldid=80698649, 7月22日(カトリック)、8月4日(正教会、修正ユリウス暦を使用する正教会では西方と同じく7月22日), 改悛した娼婦、罪を悔いる人、身体に障害のある子供、葡萄酒醸造業者、造園業者、織物業者、美容師, 「ヘアー・ドレッサー」を意味するヘブル語「メガデラ・ネシャヤ」から来ており、17世紀に, 『イエスの復活の場面』ではマグダラのマリアがイエスと共に画面に描かれる。宗教画家に好んで描いた主題に『ノリ・メ・タンゲレ 我に触れるな』(, 聖女マグダラのマリアにちなんで女の子にその名が付けられることも多い。したがって同名の別人も多い。英語では 「メアリ・マグダレーン」(Mary Magdalene)。映画にもなったジューン・ゴールディング著『, サイモン・コックスによる『ダ・ヴィンチ・コードの謎』(2004年)では、研究者リン・ピクネットによるとマグダラのマリアはエジプト人かエチオピア人であり、有色人種だった可能性があるという。, 岡田温司 『マグダラのマリア―エロスとアガペーの聖女』 中央公論新社〈中公新書〉、2005年、, シンハ・ヤコボビッチ、バリー・ウィルソン(共著)、守屋彰夫(翻訳監修)『失われた福音-「ダ・ヴィンチ・コード」を裏付ける衝撃の暗号解読』 桜の花出版、2016年、. ’にいました(マルコ15,40-41等)。福音書によると、復活したイエスが最初に現われたのは、涙を流しながら探していたマグダラのマリアに対してでした(ヨハネ20,11-18)。 12弟子と「ユダ」および「マグダラのマリア」 | 小澤克彦 上の絵は、サンドロ・ボッティチェリの聖人たちのキリストの哀悼。イエスの足をヴェールで包み愛撫しているのがマグダラのマリア。絵画でマグダラのマリアは緑や朱色の服を着ていることが多いです。, 個人的には、神に見放されても、イエスの個人意志で使命を果たしたことを伝えているのかのように思えました。, 『ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド・汚れなき瞳』のあらすじ【2020年ミュージカル】, 「さぁ~諸君!よい知らせだ!」ダンスオブヴァンパイア(TdV)2019あらすじ&曲&キャスト紹介, 【再演】ミュージカル『キンキーブーツ』のあらすじ&曲&キャスト紹介※ローラやチャーリーに再び会える!!, 『ノートルダムの鐘』(ディズニーアニメ映画)ネタバレと結末。カジモドは報われない?, エリザベート歴代ルキーニ役(東宝・帝劇ミュージカル)|ストーリーテラー演じる暗殺者, 『イエス・キリストの生涯』(Jesus: His Life)フル動画配信一覧※今、無料視聴できるのは?, 涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った. 一方、正教会では8月4日に携香女・亜使徒として記憶する(修正ユリウス暦を使用する正教会では西方と同じく7月22日)。 ベストアンサー:マグダラのマリアはナザレのイエスの弟子でした。 映画「マグダラのマリア」はローマ皇帝に娼婦呼ばわりされて以来2016年までイエスの正式な弟子とされなかったマリアがどんなふうにイエスのそばにいたのかを描いたドラマで、マリアがイエス復活の証人で伝道師だったことがわかります。 イエス・キリストの死と復活を見届けた“マグダラのマリア”を主人公とし、使徒たちの関係性を現代的な解釈で斬新に紡ぐ。キリストの伝道の旅に仕えるマリアの聖母のような神々しさをルーニー・マーラが … イエス・キリストの生涯⑤ユダ裏切りの理由~私は裏切った~ 591年、教皇グレゴリウス1世が「罪の女」「ベタニアのマリア」「マグダラのマリア」を同一人物とします。これがマグダラのマリアを娼婦と呼んだ一因となったわけです。 キリスト教 ,【中古】 マグダラのマリアによる福音書 イエスと最高の女性使徒 / カレン・l・キング, 山形 孝夫, 新免 è²¢ / 河出書房新社 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】 - pelligra.com 「マグダラのマリア」と「聖母マリア」 / 聖書には複数の「マリア」が登場するが、最もよく知られたマリアはイエスの母親のマリアだ。その次はやはり「マグダラのマリア」だろう。前者はイエスの実母として教会内ではその評価はほぼ不動であり、ローマ・カトリック教会では聖母マ イエス・キリストのツインフレームは マグダラのマリア と 言われていましたが 実は、そうではないのですって ( * ^)oo(^ *) でもそういえば 『マグダラの書』。。 この本に書かれている二人の体験って ツイン体験ではないですよね? ・・って 「マグダラのマリア」は、新約聖書の中の、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの『福音書』に登場し、イエスとともに福音の旅をし、イエスの磔刑と埋葬、復活に立ち会います。 を持ってきて、後ろからイエスの足元に近寄り、泣きながらその足を涙でぬらしました。そして、自分の髪でイエスの足を拭い、接吻して、香油を塗りました。 イエスを招待したパリサイ人は、この様を見ながら、「この人が本当に預言者なら、自分に … © 2020 カフェ・ド・ミュージカル All rights reserved. テンプル騎士団、フリーメイソン、イルミナティはイエス・キリストとマグダラのマリアの子孫を匿っていたと言われています。 ±ã„女性だったけど、イエスに会って改悛してその後イエスに従い、後に聖女となった人物。 と、一般的には解釈されています。 聖書の中でマリアと呼ばれる人物が何人か登場し、同一人物だったのかどうかは はっきりしません 。 イエス・キリストはマグダラのマリアと結婚して、子孫がいるんですよね? 映画『ダ・ヴィンチ・コード』をご覧になられたのでしょうか。 もしくは『失われた福音』をお読みになられたのかもしれませ … マグダラのマリアとは? マグダラのマリアはキリスト教の聖人の一人であり、イエスの復活を彼の弟子たちに伝える役目を請け負ったことから、『亜使徒』や『使徒たちへの使徒』と呼ばれています。 また、聖書の中に、”墓に・・・ キリスト教の主要教派でいずれも聖人に列せられている。 マグダラのマリアを聖人とする西方教会(カトリック教会、聖公会)での記念日(聖名祝日)は7月22日である。. 「表のマリア」が聖母マリアだとすれば、「裏のマリア」とも呼ぶべき存在が、マグダラのマリアなのです。 マグダラのマリヤが、初代教会においてキリスト復活の証人として重要な位置を占めていたことはたしかである。 『メアリーマグダレン』はマグダラのマリアを主人公にした宗教映画です。彼女がイエスに出会い、愛し、浸水して、死と立ち会い、復活するまでを描いており、キリスト教信者の中では大炎上した問題作ともいえる作品です。 映画にもなった小説 ダ・ヴィンチ・コード ではイエス・キリストがマグダラのマリアと結婚していた、という描写が出てきますが、ハーバード大学のKaren Kingさんはイエス・キリストが「私の妻」と発言している文章が書かれたパピルスを発見ました。� マグダラのマリアは、聖母マリアほどではありませんが、有名なマリアの1人です。 とはいえ、どんな人かと聞かれたら困ってしまう方も多いのではないでしょうか。 ... マグダラのマリアとは?イエスと結婚していた女性!? 生涯. マグダラのマリア(ラテン語: Maria Magdalena)は、新約聖書中の福音書に登場する、イエスに従った女性である。マリヤ・マグダレナとも音訳される。, 正教会・カトリック教会・聖公会の聖人で、正教会では「携香女(けいこうじょ)」「亜使徒」の称号を持つ。この「携香女」の称号と、イコンに描かれるアラバスターの香油壷を持った姿は、磔刑後のイエスの遺体に塗るための香油を持って墓を訪れたとの聖書の記述に由来している。, 共観福音書では、マグダラのマリアは「イエス・キリストが十字架にかけられるのを見守り、イエスが埋葬されるのを見、そして墓の方を向いて座っていた婦人たちの中で、最も重要な人物」とされる[1]。, 「罪深い女」としても知られているため、ニコス・カザンザキスの『最後の誘惑』のような現代小説をはじめとして、イエスとの結婚を伝える種々の伝承があるが、歴史的根拠は見出されていない[2]。, キリスト教の主要教派ではいずれも聖人に列せられている。マグダラのマリアを聖人とする西方教会(カトリック教会、聖公会)での記念日(聖名祝日)は7月22日で、正教会では8月4日である(修正ユリウス暦を使用する正教会では、西方教会と同じく7月22日)。これら固有の記念日に加え、復活祭後の第二主日を他の聖人とともに「携香女の主日」としている。, 西方教会では男性原理を重視し組織形成していたため、マグダラのマリアを「イエスの死と復活を見届ける証人」であるとともに、教義上「悔悛した罪深い女」とした。東方教会(正教会)ではこのような「罪深い女」との同一視はしていない。これについては多くの解釈があり、真実ははっきりしていない[3]。したがって「罪深い女」とマグダラのマリアを関連付ける伝承は、西欧・西方教会(ことにカトリック教会)独自のものである。, マグダラのマリアについて四福音書がはっきり語っているのは、イエスによって七つの悪霊を追い出されたこと、磔にされたイエスを遠くから見守り、その埋葬を見届けたこと、そしてイエスの復活に最初に立ち会い、「すがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから」とイエスに窘められたことである。, 『マタイによる福音書』などによれば、彼女は復活の訪れを弟子(使徒)たちに告げるため遣わされた。このため彼女は初期キリスト教父たちから「使徒たちへの使徒」と呼ばれ、正教会での彼女の称号「亜使徒」はこの事績に由来する。, マグダラのマリアともう一人のマリアは、安息日が終わって、週の初めの日の明け方にイエスの納められている墓に向かった。その時、大地震が起こり、墓の入り口を塞いでいた大きな石が転がり、墓の入り口が開いた。『マタイによる福音書』によればそれは天使の仕業であり、墓の中にはイエスの遺体はなく、天使にイエスの復活を告げ知らされた婦人たちは, しばらくすると、いつの間にかマグダラのマリアのそばには復活したイエスがついていたが、最初、彼女はそれがイエスだとは気づかなかった。「マリア」と呼びかけられてやっと、彼女はそうと気づいた。, 20世紀になって『(マグダラの)マリアによる福音書』(断片のみ)、『トマスによる福音書』(ナグ・ハマディ写本から)、『フィリポによる福音書』などが発見された。, これら外典の中でマグダラのマリアは、イエスとの親密な様子や、男性たちと並ぶイエスの弟子として記述されている。これら最新の聖書研究は、イエス宣教の旅での女性たちの役割や、マグダラのマリアの地位を見直させることとなった[4]。, マグダラのマリアは古来より東方教会・西方教会いずれの教会でも崇敬されてきたが、ことにカトリックでは特有の多くの伝説で彩られている。, マグダラのマリアとベタニアのマリアは同一人物であり(第二バチカン公会議以後は別人とされることが多い)、マグダラのマリアは晩年にイエスの母マリア、使徒ヨハネとともにエフェソに暮らしてそこで没し、後にコンスタンティノポリス(現イスタンブール)に移葬されたとされている。, 四福音書には、マグダラのマリアと特定されていない女性が何人か登場する。その中の「罪深い女」がマグダラのマリアと同一視され、イエスの足に涙を落し、自らの髪で拭い、香油を塗ったとされる。, 伝説中のマグダラのマリアは、たとえばヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』などによれば、金持ちの出自であって、その美貌と富ゆえに快楽に溺れ、後にイエスに出会い悔悛したという。そのため、娼婦をも意味する「罪深い女」との異名を与えられたり、ルネサンス以降「マグダラのマリアの悔悛」を主題とする絵画、彫刻が多く制作された。このイメージはカトリック教会の作為が関与していると指摘されている。, イエス昇天後、兄弟ラザロ、マルタ(マリアの姉)らとともに南仏マルセイユ(あるいはサント=マリー=ド=ラ=メール)に着き、晩年はサント=ボームの洞窟で隠士生活を送ってその一生を終え、遺骸はいったんエクス=アン=プロヴァンス郊外のサン=マクシマン=ラ=サント=ボーム[6]に葬られたと信じられた。ヴェズレーのサント=マドレーヌ大聖堂はその遺骸(頭蓋骨)を移葬したと主張している。しかし、サン=マクシマン側はいまも遺骸を保持していると主張しており、一部はパリのマドレーヌ寺院にも分骨されている。, ガリラヤ湖沿いの町マグダラの出身であるために「マグダラのマリア」と呼ばれたとするのが通説である。, 『ルカによる福音書』が紹介するマグダラのマリアの記述は、次のものだけである(ルカ8:1-3, 23:55)。, カトリック教会では、『ルカによる福音書』(7:36-50)に登場する「罪深い女」と彼女が同一人物とされた。(「罪の女」を参照), この女性がどのような罪を犯したのかは記載されていないが、性的不品行と説明されてきたようであり、それが娼婦とされていた原因かもしれない。彼女は(悔悛した)娼婦の守護聖人でもある。, いっぽうでカトリック信仰の強い国々を中心に、娘を名付けるにあたってこの聖女の名が好んで使われている。諸文学で彼女の娼婦的な過去を扱うものが多いが、職業的娼婦であったとするものはあまり見受けられない。しかし、キリストを描いた映画の多くが、彼女がかつて娼婦であったとの設定で登場させている[8]。2018年公開の『マグダラのマリア』はマグダラのマリアをイエス・キリストの使徒のひとり(復活の証人)として初めて描いた映画となった[9]。, さきの『最後の誘惑』では、十字架上のイエスがマグダラのマリアとの結婚生活を夢想する。また、1982年に英国で刊行されたノンフィクション“Holy Blood, Holy Grail”(日本語版:『レンヌ=ル=シャトーの謎』)で著者らは、イエスとマグダラのマリアが結婚しており、子供をもうけたという仮説を示した。マーガレット・スターバードもこれに追随し、1993年『マグダラのマリアと聖杯』で、イエスとマリアとの間の娘をサラとした。2003年の小説『ダ・ヴィンチ・コード』がそれをストーリー中に使っている。シンハ・ヤコボビッチとバリー・ウィルソンも、2014年出版の“The Lost Gospel: Decoding the Ancient Text that Reveals Jesus' Marriage to Mary the Magdalene” (日本語版『失われた福音-「ダ・ヴィンチ・コード」を裏付ける衝撃の暗号解読』2016年)の中で、2人の聖なる婚礼や交わり、子供を二人もうけたことなどを詳細に記録した古代シリア語文書を解読している。, 結婚していたとする論では、あちこちに暗喩や象徴の形で残っていると主張している。西洋美術には、作品の中にシンボルとしての形や色を配し、暗示的に表現する手法がある。古くから、主流の宗派以外の主張は異端として迫害されたり、証拠品を焼き払われたりしてきた歴史があるため、迫害の対象となるような表現について芸術家達はその暗示的手法を用いてきた。明示的なものでは、2-3世紀ごろの著作と見られる『フィリポによる福音書』の記述がある。国を治める者によって宗教内容の統制が行われ、統率者の意向にそぐわない教義は隠蔽や書き換え、迫害が行われてきたことから、この結婚という内容もその隠蔽の1つであるとみられている。イエスの結婚を巡っては、近年さまざまな研究書、追跡書などが出ている[10]。, 20世紀の半ばに、ナグ・ハマディ写本の発見などにより、これまで異端の書として隠されていた書物がその姿を現してきた。エレーヌ・ペイゲルス (Elaine Pagels) は、娼婦を否定し妻とするのは「同じ見方の裏と表」であると指摘した。ペイゲルスによれば、「男たちは、マグダラのマリアにイエスの弟子でも、リーダーでもなく、性的な役割だけを与えようとして、このようなファンタジーを作っているのではないかとさえ思える」と主張している。しかし史実の対象となる古書の中に、イエスが結婚をしていなかったという具体的な表現もなく、太古の時代に地球上のあらゆる文化でリーダーとしての女神崇拝があったことの名残でもあるマグダラのマリアの存在に恐れを感じた組織が、「性的」や「ファンタジー」という言葉によって、逆に貶めているとも考えられる[11]。, マグダラのマリアは、西欧キリスト教美術においては、聖母マリアと並ぶ重要な登場人物である。聖母は超越的な奇跡的存在であり、多くの宗教画家は最大級に理想化された聖母像をつくった。対して、マグダラのマリアはエモーショナルな存在を象徴する女性として描かれ、聖母とともにマグダラのマリアを常に重要な場面に登場させるキリスト教美術は、そうすることでキリスト教における人間の愛のありようを相互補完的に表した。ただし、東方教会・正教会においては、西欧で伝承されたようなマグダラのマリアの解釈の伝統は生まれなかった。, 『最後の晩餐』(伊:Il Cenacolo o L'Ultima Cena) はレオナルド・ダ・ヴィンチが彼のパトロン、ルドヴィーコ・スフォルツァ公の要望で描いた巨大な絵画。これはキリスト教の聖書に登場するイエス・キリストの最後の日、最後の晩餐の情景を描いている。ヨハネによる福音書13章21節より、キリストが12弟子の中の一人が私を裏切る、と予言した時の情景である。, 小説『ダ・ヴィンチ・コード』はレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』でキリストの右隣には女性らしき性別の人物が座っており、マグダラのマリアではないかとする説を紹介している。, しかし、使徒ヨハネと解釈されてきたこの人物を、髭の無い青年もしくは女性的に描き、金髪で衣装もマグダラのマリアと同じ朱色とするのは、ダ・ヴィンチに始まらず、それ以前からの伝統であり[12]、小説『ダ・ヴィンチ・コード』の記載は適切な解釈ではない。『最後の晩餐』の絵にはキリストと12人が描かれているので、件の人物が使徒ヨハネとして描かれたことはほぼ確かである。, この絵は『ヨハネによる福音書』をもとに描かれている。同福音書には、イエスの愛しておられた弟子がイエスに寄りかかっていたと書かれている (13:23-26)。この「イエスの愛しておられた弟子」(この表現は別の箇所にもみられる)が他の人物である仮説、あるいはマグダラのマリアではないかとの仮説は、ダ・ヴィンチの絵画よりも以前から囁かれており、最近になって明らかになったものでもない。, そもそも東方教会・正教会において、イコン以外の美術としての宗教絵画がまとまった形で生まれたのは近世以降にほぼ限定される。イコンにおいては当然の事ながら性的表現・感情的表現は(たとえ技法に西欧的なものが導入されているものであっても)抑制され、マグダラのマリアについてもこれは例外ではない。また、確かにマグダラのマリアは正教会でも篤く崇敬されてはおり、これを元にした世俗絵画も無い訳ではないものの、「生神女(聖母マリアのこと)に続く第二の聖人」と称されてマグダラのマリア以上に崇敬されるのは、エジプトのマリアである。, エルサレムのオリーブ山には、マグダラのマリアに捧げられたロシア正教の教会であるマグダラのマリア教会がある[13]。, もう1カ所では、弟子たちすべてよりイエスが彼女を愛しているのを見て、弟子たちはその理由を求める。, 正式な夫婦と認められていたとすれば、弟子たちの問いはやや妙である。妻ではなかったと主張される場合の根拠としては、「伴侶」とされる箇所は原典のコプト語では単なる「連れ」であり、配偶者の意味はないということ。また、接吻についても、グノーシス文書において、接吻は特に性的な意味がなく、イエスは男性信者に対しても接吻をしていたことが挙げられる。, 恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。, そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。, そこで、イエスは自分に触れようとするマグダラのマリアに、父である神のもとへ上る前であるため、触れないようにと言われた。(, 三人の者がいつも主と共に歩んでいた。それは彼の母マリアと彼女の姉妹と彼の伴侶と呼ばれていたマグダレーネーであった。, 主は、マグダラのマリアをすべての弟子たちよりも愛していた。そして、主は彼女の口にしばしば接吻した。他の弟子達は、主がマリアを愛しているのを見た。彼らは主に言った。「あなたはなぜ、私たちすべてよりも彼女を愛されるのですか?」救い主は答えた。「なぜ、私は君たちを彼女のように愛せないのだろうか」, この中でマグダラのマリアが2カ所で触れられており、1カ所では「イエスの伴侶」と紹介されている。, 『マレーナ』作中では、裁判にかかったマレーナが自らの正式名を「マグダレーナ」と名乗るシーンがある。, The Lost Gospel: Decoding the Ancient Text that Reveals Jesus' Marriage to Mary the Magdalene, fr:Basilique_Sainte-Marie-Madeleine_de_Saint-Maximin-la-Sainte-Baume, There’s something about Mary, April 11, 2006, "Saint Mary Magdalene." マグダラのマリア マグダラのマリア ( ラテン語: Maria Magdalena )は、 新約聖書 中の 福音書 に登場する、 イエス に従った女性である。 ☆イエス・キリストとマグダラのマリア、そのエネルギーからチャネリングされた、数十種類の精油から紡がれた香り水も、お創りしています。 これだけの名前が1カ所に集まっており、さらにイエス、マグダラのマリア、ユダと名付けられた遺体の親子関係がDNA検査で裏付けられたことを考えると、これがイエスとその家族のものである可能性は非常に高いと調査チームは述べている。 性であり、その全てが十字架刑に処せられたイエスを否認したのに対し、その形場で最期を看取り、そのあと誰よりも先にキリストの復活の証人となったのは、マグダラのマリアという女性でした。 の子が生まれると予告される、“受胎告知”というエピソードが有名ですね。 しかし、その知名度の割には意外と、聖書での登場回数は少なめです。 それでも、これだけ多くの人に知られ … 「イエス・キリストとマグダラのマリアの間に子供が生まれ、その子孫がフランスの貴族の子孫として、今もヨーロッパの何処かでひっそりと生きている」という話をTV番組や本で読んだことがあります。